ここは幻想郷の下の下。地底都市の最深部。最も底に近い場所。かつての灼熱地獄にして、現在の核融合炉である。
 沢山の烏や猫、怨霊や妖精が蠢くこの場所で、会話に花を咲かせる妖怪が二人いた。



「おりん〜」

 黒髪に大きな翼を持つ少女が、その翼をバサバサと羽ばたかせながら猫耳に赤髪の少女の近くに降り立った。猫耳少女はそれを見てはぁ、とため息を吐く。

「ごめんおくう。今あたい暇をつぶすのに忙しいんだ。だからまた今度にして」
「何その理由! 矛盾してる!」

 怨霊部隊「おりんりんランド」を指揮する火車のお燐と、生きる核融合炉こと「フュージョンしましょ!」の霊烏路空だ。
 二人は今、仕事が終わって一休み中。地獄跡と地霊殿中庭入り口の間辺りにあるペット用休憩所にいる。休憩所、と言ってもひさしの付いた空間に椅子とテーブルが何個か置いてあって、近くには飲み物や軽い食べ物を売っているお店がある、という実に機能的な休憩所だ。無論、それらはペット運営で、二十四時間営業だ。ちなみに、通貨は一S(さとり様大好き銭)。

「あ、さとりシェイクの新作出たんだ。私も買ってこようっと」
「おくう、この前の異変の時に処罰として半年給料なしを食らったのにどうやって買うんだい? それにお金、もう無いんだろう?」
「あ……。…………なんてこと、世界は、神は、私を見捨てたというの……」
「どうしたらさとりシェイク一個でそこまで発想が行くんだい?」

 さとりシェイク、というのはペット経営飲食店、「ベアードナルド」の名物飲み物で、地霊殿のペットたちの大半が愛飲しているというものである。基本として用意されている「豆味」「マタタビ味」「闇鍋味」の他にたまに期間限定品や試験的な新作が出たりする。
 今回出たのは「無意識味」。無意識で味を感じ取れば至高の味が感じられるが、無意識になりきれないとただの水に感じられるという、透明なシェイクだ。

「うう……仕方ないか、お燐に分けてもらおう」
「図々しいにも程がある! 素直に諦めようよ!」
「いいや、ここで諦めたら核融合が廃るって奴だよ。……今、私は諦めを知らない烏になる……!」
「格好よく言ったってだめだから!」

 空は燐の座っているテーブルの反対側に置いてある椅子を引いて、そこに座った。前の間欠泉異変の時に半分くらいその首謀者となった空は、さとりから減給と、半年間の給料なしを言い渡された。もちろん、日に三度の食事は他のペットと同様に配給されるのだが、給料がもらえないため娯楽が非常に制限される。言い渡された時、空は三時間ほど放心状態だったが、仕事の休憩時間にその様子を見に来た燐に「アハハ、ナンノハナシー」と全てを忘れるように言ったという。……現実逃避とは心の崩壊から自信を守るべく存在する最後の自己防衛機能なのだ。

「うにゅにゅ〜。そういえばおりんはなんでそんなに余裕でお金使ってるの〜?」
「え、だって昇給したし」
「…………え?」
「だから、あたいは昇給したの」

 ──ドォォォォォン!

 そのとき、空に衝撃が走った。
 その衝撃は温泉卵を食べたと思ったら実は殻を食べていた時のそれと同じくらいだった。

「な、何で!? 地上に怨霊送ったおりんは死にたくても死ねないような罰を受けてるはずでしょ!?」
「何でさ! 確かに地上の妖怪たちには『初恋の思い出を一時間語る』っていう死にたくても死ねないような罰を受けたけどさ……」
「うにゅ? どこが死にたくても死ねないの?」
「……おくうにはまだ早かったってことだねぇ……。いや、いいのさ。で、罰を受けたわけなんだけど、さとり様が『怨霊を送り出したのは悪いことですが、友人を助けるためならば仕方ないとも言えます。自らの危険を省みずに友人のために尽くしたあなたには、昇給という名の罰を与える必要がありますね』って言ってね。それで今では昔の二倍はもらえてるよ」
「何で!? 私助かってないし! むしろあと少しで地上を攻めれたところをおりんに止められて迷惑だったんだよ!?」
「根本的にそれがダメなんだよ!」

 まさかこの烏、自分のやったことが悪いってことに気づいて無いのか……? と燐は思ったが、いやまさか空でもそれは無いだろうと否定した。真実は空の消えた数秒前の記憶の中だが。

「にゅ〜……………………」
「そんなに物欲しげに見つめたってあげないよ」
「うにゅにゅ〜…………そうだ…………。……あっ! さとり様!」

 空の声で何匹かのペットがそっちを向く。しかし、燐は気にせず呆れたような、疲れたような表情で空を見つめていた。その様子に空はう゛、とたじろぐ。

「う、うにゅ〜…………。……あ、活きのいい死体!」
「何だと!? そいつをこっちに寄越せ!」

 燐が空のさした方向に振り向き叫び、跳んだ。その速さ、鴉天狗の比ではなかった。そしてこの時空は燐の中にしっかりと『さとり様<死体』の不等式を見出していた。
 空は早速さとりシェイクを飲みにかかろうとする。しかし、先ほどまで燐がシェイクを置いていたテーブルに、それは無かった。

 ──まさかっ!

 空は視線をテーブルから燐に移す。

「ず……ずるいっ……!」

 燐の手にはしっかりとさとりシェイクが握られていた。
 空の声を聞いたか聞いていないか、燐が振り向く。

 ──ニヤ……

 その顔はまさに「引っかかったな!」といった感じのいやらしい笑顔だった。空は思った。

 ──奴の手の内で踊らされていただけ、ということか。

 フゥ、と息を吐いて空は高い高い地獄の天井を見た。椅子に全体重をかけ、額に手を当てる。その姿だけを見たらアンニュイな午後の憂鬱にため息を吐くかっこいい女性だ。
 空が完全なる敗北感に浸っていると、ニヤニヤとした笑みを浮かべた燐が戻ってきた。
 こちらは片腕だけを椅子の背に回し、足を組んで、ヂュー、とさとりシェイクを吸っている。とてつもなく挑発的である。
 空はちらりと燐を見て、さらに悔しい気分になった。

 ──あの猫め……絶対に許さんぞ! ジワジワと嬲り殺してやる!

 動物たちの駆け引きとは、時に静かに熱くなるものである。

「ねぇおり──」
「だが断る」
「まだ名前すら言ってないのに!」
「あたいの最も好きな事のひとつは、まだ相手が自分の名前を言い終わっていないうちに『NO』と断ってやることなんだ」
「なんて悪い性格!? 最悪だよ! というかよく反応できるよね!?」
「地獄を行き抜くために、必要だったことなのさ」
「嘘だ! ずっと平和に暮らしてたじゃん!」
「そう……あたいは隠しきれてたってわけか……」
「何も隠してないくせに!」

 燐がヂュー、とシェイクを吸い、とても幸せそうな顔のままで悟ったような台詞を言う。ツッコミどころがありすぎる光景だ。無論、燐はわざとやっていて、それは空に突っ込ませるためだったりする。
 燐曰く、空は突っ込ませることで楽しむのが一番面白いらしい。

「はっはっは。おくうは面白いなぁ」
「あっ……もしかして私の事を嵌めたの!? この孔明め!」
「いやいや! おくう嵌めるのに孔明さんほどの実力いらないから! 孔明さんもったいないから!」

 たまに、空が無意識のうちに燐に突っ込ませることもあるのだが。

「にゅ〜〜。なんでおりんだけ得を〜」
「仕方ないだろう? おくうがエサに釣られてホイホイ異変を起こしちゃったんだから」
「私が何をしたって。全部私に力を与えた神様が悪い」
「ちょっと待て。あんた地上に攻め入るとか言ってたろう?」
「う、うにゅ? お、覚えてないにゅ」
「ちょっとさとり様の所行こうか」
「あっ、待って待って! 今思い出したから!」

 ここ地霊殿において、嘘を吐くというのは自滅行為に当たる。さとりという主がいるからこそ自然に出来たルールである。……とは言っても大抵の場合はさとりに嘘発見器になってもらうようなことは無い。だけど万が一そうなった場合に言い逃れが出来ないため、ペット達は皆正直になるのだ。

「さて、と。あたいはそろそろ持ち場に戻るとするよ。おくうもさぼらないでがんばるんだよ。……あ、シェイクの残りはあげるよ」
「本当!?」
「あたいが嘘を吐いたことがあったかい?」
「うん」
「…………まぁ、あげるよ。じゃあね〜」
「うにゅ! ありがと〜」

 空はようやく手にしたシェイクを持ち、吸った。

 ──ベコッ

「……うにゅ?」

 もう一度、吸ってみる。

 ──ベココッ

「……にゅ?」

 …………。
 ……………………。
 ………………………………。

「あの子猫め!!」

 空は空の紙コップを地面に叩きつけて叫んだ。燐はもう遥か遠く──ではなく、すぐ近くの空中でニャハハと笑っていた。

「くそっ! 貴様!」
「引っかかったニャー! 渡すわけにゃいだろう!?」
「待てぇ! 溶かしてやる! 爆符『ペタフレア』!」
「やにゃこった〜猫符『怨霊猫乱歩』!」

 たくさんの光弾を打つ空と、猫になってそれから逃げる燐。
 灼熱地獄跡は、今日も概ね平和である。







『何も考えない悟りの境地。それは許されたものだけが至れる絶対領域。
 至るのは難しいが、至れればそれは最上の幸せになる。
 さぁあなたも無意識になり、至高の味を感じよう!

 古明地こいし様監修
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