「ひなさーん」
あ、どうも。アキ・ザ・ゴッデスこと秋穣子です。今日は友達で厄神の雛さんの神社に来ています。と、言うのも特に約束をしたわけじゃなくて、やることもなくなって暇になったからだけれど。
それにしてもこの神社は大きいわよねー。私とお姉ちゃんの神社なんて小さな社があるだけなのに、雛さんのは鳥居もそれなりだし、境内も普通くらいにはある。本殿は拝殿と一緒になっているけど無論私たちのより大きい。山の上の神社レベルとまではいかないけど敷地もあるしね。
でも、不思議なのは立地条件よね。何でこんな樹海の奥地にあるのかしら。
「ヒナサーン」
まぁどうでもいっか。とりあえず今は呼んでも返事が無いただの屍な雛さんをどうにかしなきゃ。
私は賽銭箱の後ろにある本殿扉に手をかけて、それをぐいっと引いた。ずいぶんと整備していないのか、動かしにくくなった戸がギギイと音を立てて開く。一瞬何かに包まれるような感覚がする。きっと厄だろう。声をかけても出てこなかったから進入することにしたが、それは厄が付くというリスクを伴っている。……雛さんと付き合ってるとそんなことしょっちゅうだからもう慣れたけど。
一歩、本殿の中に足を踏み入れる。
何度か立ち入ったことがあるけど、この空間は不思議な空気で満ちている。焼くとは違う、何者も近付かせないような冷たい空気で。その空気は時たま雛さんといると感じる空気に非常に似ていて、少し、寂しい気分になった。
「雛さん」
「んぅ?」
あ、見つけた。
雛さんは本殿奥で正座をしながら目を瞑っていた。その様子はまるで人形のようで、不思議な魅力があり、そして神々しさが感じられた。……神様だから当然だろうけど。
「おはよ、雛さん」
「だあれ?」
「穣子よ」
「みのりこ? ううん? ……だあれ?」
「だから穣子だって」
「みのりこ……おいしいの?」
「どこからそこに繋がった!? 自分の味なんて知らないから!」
だめだ。雛さん寝ぼけてる。……というか、寝てる? 何か上半身フラフラしてるし。
「んー……ふぅ〜」
あ、倒れた。
「ひなさん?」
「あと五光年……」
「なんてベタな……」
「朝食の用意と境内の掃除、お願いね〜」
「誰がやるか! 自分でやれ!」
「んぅ……すぅ……」
こうなったら起こすまでね。さ、殴打してでも起こすわよー。
「ひなさーん」
言って私は雛さんの肩を揺すろうと手を伸ばす。そして肩に手が触れた直後だった。
──ぐいっ……がしっ
「え? ふぇ?」
急に手首をつかまれ、雛さんに抱き寄せられる私。一瞬にして、雛さんとの距離が縮まる。気付けば私の顔のすぐ前には雛さんの顔があった。
雛さんの息が感じられる。近い。近すぎる。
少しして、ようやく自分が今おかれている状況に気づいて逃れようとする。だけど雛さんは予想以上に強く抱きしめていて私を放してくれない。
沈黙が続く。
動いたのは、抱きしめているほうだった。
「ひ、雛さん?」
「ん〜……んむぅ!」
「え──んぅ!」
遅く流れる時。ゆっくりと近づいてくる雛さんの唇。遅く見えているのに反応できない私。
瞬間、私の唇と雛さんの唇はその間に少しの隙間も作っていなかった。
「────っは」
どれ位経っただろうか。とても長かったように感じられる。私は雛さんから解放された。されたけど、思考は何一つまとまっていない。
一体今雛さんは何をしたのか。
今の今まで私の唇を覆っていたものは何だったのか。
私は今どんな顔をしているのか。
「……ふふ」
雛さんの笑い声が聞こえる。誰かをからかうときに出す声だ。
私は目だけど動かして雛さんの顔を見た。
「本当に、私があなたに気付かずに眠っているとでも思ったの?」
──ニヤ……
「あ……ぅっ! そ、そそそんなっ……はずっ!」
「ふふ……そう、見事に嵌ってくれたのね。おかげで面白いことも出来ちゃったし……得したわ〜」
「〜〜〜〜〜っ!」
クスクスと笑う雛さん。私は顔を真っ赤にしながらそれを睨みつける。
ああもう、よく考えれば分かることじゃない私。
他人をからかうのが好きで、それでいて樹海に一歩でも侵入する生き物が居れば、進入した瞬間にその居場所を察知できる謎性能を持った雛さんがここまで近づいている私に気づかないなんて事があるはず無いって。これが罠だって。
なのに私は…………っ!
「可愛いわね、穣子は。でもアレは不可抗力よ? だってこんなに私の近くに、しかも本殿の中まで入ってきては妖怪や神様にすら死を与えかねない厄が憑いてしまうのだから。ああやって私が吸わないといけなかったのよ」
「む……でもぉ」
「そんなにムクれないの。ほら、もう一回やってあげるから、ね?」
「何でもう一回やれば私の機嫌が直ることになってるの!?」
「じゃあ直らないの?」
「それは…………」
そりゃあ、それはそうかもしれないけど、その、空気とかそういうものがあるじゃない? しかもさっきのは全くの不意打ちだったし、そういうのは、ほら、準備とかの時間が欲しいわけ。だから次にもし、もしやるんだったら、準備とかした後にして欲しくて────
「ねぇ穣子」
「?」
雛さんが急に私を呼んだ。一体なんだろう。思考の途中なのに。
「準備、だったかしら? 出来てる? 私はいつでもおっけよ」
「へ?」
準……備……?
「ああ、説明するわ。これ、知り合いがくれたアイテムで、ミレニアムアイっていうものなんだけど、これを対象となる人妖に合わせてそいつを見ると、なんとそのお方の心がフルオープン。どんなダークな思考もどんなピンクワールドでも分かるって訳よ。ね、すごいでしょ?」
「え…………? あ、あああああああ!! 忘れて忘れて!! お願い忘れて! というか忘れろ! うがあああああ!!」
手を振り回して雛さんに訴えかける私。しかし雛さんは、
「もう遅いわ。私の心の中にディープリーに刻まれてしまったもの」
そう、落ち着いた顔で目を閉じて言った。
……うぅ、恥ずかしい……。何よ、あんなこと考えてる時に見ないでもいいじゃない……。
「大丈夫よ、『そりゃあ〜』からしか見てないから」
「最初からじゃない!」
「あら、それは得したわ」
「うわぁぁぁん!! 雛さん嫌い! 大嫌い!!」
「大嫌い!?」
そう叫ぶと雛さんは驚いた表情をして、少しして本殿の隅まで瞬間移動をした。
「ひ、雛さん?」
「嫌われた……穣子に嫌われた……」
「えっ? あ、え、ええと」
「あの日私に桜舞う木の下で顔を赤くしながら大好きって言った穣子に嫌われた……」
「言ったっけ!? 記憶に無いんだけど!」
「……うぅ……嫌われた……」
うん、なんとなく罠な気がするわ。というか罠よね? だって行動わざとらしすぎるもの。
「キラワレタキラワレタキラワレタ……」
ああ、もう。私って何でこう、罠だって分かってても行動を起こしたくなるのかしら。雛さんも雛さんよ。わかってる癖して……わたしがそういうのに弱いって。
冗談だって言えばいいんだろうけど、きっと雛さんはそう言わせて調子に乗るつもりね。き、きっと『ジャアダイスキナンダー』とかって言ってくるに決まってるわ。
「…………」
……今回くらいはちょっと抵抗してみたいかも。
ふふっ。私だって伊達に長く雛さんと過ごしては居ないわ。雛さんの行動パターンは大体読めている。いっつもは雛さんが私をからかってるんだし、私だってたまには逆襲してみるのもいいかもしれないわね。
「ふ、ふふん。空気を読まない雛さんなんて大嫌いよ」
私はとりあえず嫌い、と言ってみる。
これは流石に雛さんと言えど予想外でしょうね。いつもの私だったら『ジョ、ジョウダンニキマッテルデショー』って言う場面だし。
ほら、雛さんは自分の予想とは違う私の反応にビックリして──
「なら空気を読めばいいのね?」
「え?」
気づいたら雛さんの両手が私の頬に添えられていた。じぃ、と、雛さんがそのエメラルドの目で見つめてくる。
えっと、隅からここまでちょっと距離があったと思うんだけど。──というかビックリするどころか調子に乗ってるし!
「ひ、雛さん? その……」
私は顔が赤くなっていくのを感じつつ、言葉を搾り出す。
「えっと、今のはちょっとした冗談で言ってみただけで──」
「ふふ、大嫌いって言うのが冗談なのね?」
「え、そ、そこじゃなくて!」
「なら、私のことが大好きな穣子のために、思いっきり空気を読んでみることにするわ」
「なにをっ──んむっ!?」
あぁ、結局雛さんの方が一枚上手だったなぁ。
私はまたも、雛さんに唇を奪われた。
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